History — 歴史

500年の物語が、
いまの一杯に入っている。

1494年の最古の記録から、いまのブームまで。密造、発明、禁酒法、再編の出来事を年表にして、それぞれが「いまの一杯にどうつながるか」を添えました。

35 EVENTS · 6 ERAS · 1494–2024

35件の出来事

ERA 1 · 1494–1822

起源〜密造の時代

修道院の記録に始まり、重い税と密造の時代へ。スコットランドとアイルランドで蒸留が根づいた時期です。

  1. 1494スコットランド

    記録に残る最古の「アクア・ヴィテ」

    スコットランド王室の会計記録(財務府記録)に、1494年の記載があります。修道士ジョン・コーに、「アクア・ヴィテ(命の水)」を造るための麦芽8ボルを渡したという内容です。ボルは当時の量の単位です。スコットランドでウイスキーにつながる蒸留酒が記された、知られている限り最も古い記録とされます。なお、スコットランド国立記録局の解説では原料を「穀物」としており、資料によって表現が少し異なります。

    NOWスコッチの長い歴史を語るときの出発点として、今もよく紹介されます。

  2. 1608アイルランド

    ブッシュミルズ一帯に蒸留の許可

    1608年、国王ジェームズ1世は、今の北アイルランド・アントリム州ブッシュミルズの一帯で、サー・トーマス・フィリップスに蒸留酒を造って売る許可を与えました。ブッシュミルズのラベルにある「1608」は、この年にちなむ数字です。ただし、今の蒸留所の始まりは1784年とされます。許可が出た年と蒸留所の創業年は、分けて考えるとよいでしょう。

    NOWラベルの「1608」の意味が分かると、銘柄の歴史を読み解きやすくなります。

  3. 1644スコットランド

    スコットランド議会が酒に税

    1644年、スコットランド議会は物品税の法律を定め、蒸留酒にも税をかけました。スコッチ・ウイスキー・エクスペリエンスの解説では、税額は1パイントあたり2シリング8ペンスだったとされます。ウイスキーが、税をかけるほど広く造られ、飲まれる品になっていたことがうかがえます。この後、税と取り締まりは、ウイスキーの歴史を長く左右していきます。

    NOWウイスキーと税の深い関わりは、この時代から今まで続いています。

  4. 1707スコットランド

    議会の合同と密造の広がり

    1707年、スコットランドとイングランドの議会が一つになりました。その後、イングランド側の徴税の役人がウイスキーの生産を管理しようとし、税の仕組みは重く複雑になっていきます。税を逃れるため、山あいなどでは無許可の蒸留(密造)が広がりました。密造は17世紀の終わりから19世紀の初めにかけて、スコットランドでさかんだったとされます。

    NOWハイランドなどに残る密造の物語は、蒸留所の歴史紹介によく登場します。

  5. 1779ボウモア蒸留所の創業(いまボウモア 12年をつくる蒸留所)
  6. 1784ブッシュミルズ蒸留所の創業(いまブッシュミルズ オリジナルをつくる蒸留所)
  7. 1815アードベッグ蒸留所の創業(いまアードベッグ 10年をつくる蒸留所)
  8. 1815ラフロイグ蒸留所の創業(いまラフロイグ 10年をつくる蒸留所)
ERA 2 · 1823–1900

産業化とブレンデッド

合法化と連続式蒸留機、ブレンドの解禁によって、ウイスキーが大きな産業に育った時代です。

  1. 1823スコットランド

    物品税法で合法の蒸留へ

    密造があまりに多かったため、1823年に物品税法(Excise Act)が定められました。税を半分以下に下げ、年10ポンドの免許料を払えば、40ガロン以上の蒸留器で合法的に蒸留できるようにしたのです。1820年代の初めには、年に約1万4千基もの密造の蒸留器が押収されていたとされます。この法律の後、グレンリベットのように免許を取る蒸留所が現れ、合法の産業へと変わっていきました。

    NOWグレンリベットのように、この法律の後に免許を得た蒸留所が今も操業しています。

  2. 1825ミドルトン蒸留所の創業(いまジェムソン スタンダードをつくる蒸留所)
  3. 1830アイルランドスコットランド

    ※ 1830年に出願し、1831年2月に特許が認められた。資料により「1830年」とも「1831年」とも書かれる

    コフィーの連続式蒸留機

    アイルランドの元収税官イーニアス・コフィーが、連続式蒸留機の特許を1830年に出願し、1831年に認められました。もろみを止めずに続けて蒸留でき、効率よく度数の高い蒸留液をつくれる装置です。スコットランドでは1833年に初めて導入されました。一方、アイルランドの大手蒸留業者の多くは、従来のポットスチルの酒より劣るとして、採用しなかったとされます。

    NOWグレーンウイスキーの多くは、今も連続式蒸留機で造られています。

  4. 1858カナダ

    カナディアンクラブの蒸留所が開業

    1858年、カナダのオンタリオ州で、のちに「カナディアンクラブ」を生む蒸留所が操業を始めました。カナディアンクラブの公式サイトも、蒸留所が開いた年を1858年と紹介しています。場所はデトロイト川に面したウォーカービルで、蒸留所はウイスキー事業で成功したハイラム・ウォーカーの名で知られます。この蒸留所は160年以上にわたり、ウイスキーを造り続けています。

    NOWカナダを代表する大きな蒸留所として、今も多くの銘柄を生んでいます。

  5. 1858ハイラム・ウォーカー蒸留所の創業(いまカナディアンクラブをつくる蒸留所)
  6. 1860スコットランド

    保税倉庫でのブレンドが解禁

    1860年の蒸留酒法(Spirits Act)で、税を納める前の保税倉庫の中で、モルトとグレーンのウイスキーを混ぜることが認められました。これにより、味をそろえたブレンデッドウイスキーを、まとまった量で造りやすくなります。個性の強いモルトに、安く造れるグレーンを合わせることで、値ごろな商品も生まれました。この後、ブレンデッドはスコッチの売れ行きを大きく伸ばしていきます。

    NOWジョニーウォーカーなど、今のブレンデッドスコッチが広まる出発点になりました。

  7. 1866ジャックダニエル蒸留所の創業(いまジャックダニエルをつくる蒸留所)
  8. 1875スコットランド世界

    ※ フィロキセラの被害は1860年代〜1880年代に広がった。1875年はコニャック地方に達したとされる年

    フィロキセラでブランデー不足

    ブドウの木を枯らす害虫フィロキセラが、1860年代からヨーロッパに広がりました。1875年にはブランデーの産地コニャック地方にも達し、フランスのワインやブランデーの生産は大きく落ち込みます。イギリスではブランデーが手に入りにくく高くなり、代わりにブレンデッドスコッチが選ばれるようになりました。デュワーやブキャナンらの売り込みも重なり、スコッチは国の外へ広がっていきます。

    NOWブレンデッドスコッチが世界の定番になった背景のひとつです。

  9. 1887カナダ

    ※ 法律の制定は1887年、実施は1889〜1890年とされる

    カナダが熟成を義務づける

    カナダは1887年、ウイスキーに熟成を義務づける法律を定めました。ウイスキーの熟成を求める法律としては、世界で最初とされます。酒をしばらくたくわえさせ、役人が確実に税をかけられるようにする狙いがあったとされます。決まりは1889年から1890年にかけて段階的に実施されました。小さな規模の蒸留が続けにくくなる、一因にもなったとされます。

    NOW最低熟成年数の決まりは、今では多くの産地の定義の柱です。

  10. 1897アメリカ

    ボトルド・イン・ボンド法

    1897年、アメリカでボトルド・イン・ボンド法ができました。色や香りを加えた偽物のウイスキーが出回っていたため、消費者とまじめな蒸留業者を守ることが目的とされます。一つの蒸留所で一つの蒸留シーズンに造ること、4年以上熟成すること、100プルーフ(50%)で瓶詰めすることなどが条件です。ラベルには、蒸留した場所を示す必要があります。

    NOW「Bottled in Bond」と書かれたバーボンは、今もこの条件を目印にしています。

  11. 1898スコットランド

    ※ 破綻の始まりは1898年12月。影響はその後も長く続いた

    パティソンズ破綻とブームの終わり

    19世紀の後半、スコッチの業界では蒸留所が次々に建てられていました。しかし1898年12月、ブレンド会社パティソンズの株が急落し、銀行の支援も得られずに清算へ進みます。のちに経営者の不正も明らかになりました。ほかの会社の倒産も続き、ウイスキーの値段は下がり、蒸留所の建設はぴたりと止まります。ハイランドで次の蒸留所ができたのは、約50年後とされます。

    NOW好況と不況をくり返す、ウイスキーの在庫の難しさを示す出来事です。

  12. 1900アイルランド

    ※ 19世紀後半〜1900年ごろの状況をまとめたもの

    アイリッシュウイスキーの黄金時代

    19世紀のアイルランドでは、蒸留業が大きく育ちました。アイリッシュウイスキーの技術文書によると、蒸留業者は1823年の40から1840年には86に増えています。また、1823年から1900年までの間に、生産量は約4倍になりました。とくにダブリンの大きな蒸留所の酒は、国内だけでなく世界で存在感を持ち、この時期は黄金時代と呼ばれています。

    NOW当時の主流だったポットスチルの造り方は、今の銘柄にも受け継がれています。

ERA 3 · 1901–1945

世界の広がりと禁酒法

定義の論争や禁酒法、戦争に揺れる一方、日本で本格的なウイスキーづくりが始まりました。

  1. 1909スコットランドアイルランド

    英国王立委員会「ウイスキーとは」

    20世紀の初め、イギリスでは「連続式蒸留機で造った酒もウイスキーと呼べるのか」が争われました。1905年秋に始まったロンドン・イズリントンの裁判では、連続式蒸留機の酒だけではウイスキーとはいえない、とする判断が出ています。その後、1908年に王立委員会がつくられ、1909年7月に報告を出しました。報告は蒸留器の種類を条件にしない定義を示し、ブレンドを造る側の主張が通る形になりました。

    NOWグレーンやブレンデッドが「ウイスキー」として扱われる、歴史的な背景のひとつです。

  2. 1909アメリカ

    タフト大統領の「ウイスキーとは何か」

    アメリカでも、1906年の食品医薬品法のもとで「ウイスキーとは何か」が争われました。中性スピリッツ(ほぼ無味の高い度数の酒)を混ぜた酒の呼び方が、議論の中心です。1909年12月、タフト大統領は、穀物から造った中性スピリッツを使う酒もウイスキーと名乗れるとしました。そのうえで、ストレートとブレンデッドなど、中身が分かる表示を求めています。

    NOW「ストレート」「ブレンデッド」というラベル表示の考え方のもとになったとされます。

  3. 1915スコットランドアイルランド

    最低熟成期間が法律に

    第一次世界大戦中の1915年、イギリスで未熟成蒸留酒(制限)法ができました。蒸留したばかりの若い酒の販売を制限し、一定の期間の熟成を求める法律です。求める期間は、最初の2年から3年へと延びたとされます(資料により説明が異なる)。背景には、戦争中の飲酒を抑えたい政府の考えや、若い酒は酔いやすいとする禁酒運動の主張がありました。今のスコッチの「3年以上」の由来とされます。

    NOWスコッチやアイリッシュの「3年以上熟成」という決まりの源流とされます。

  4. 1920アメリカカナダ

    ※ 1920年〜1933年(廃止の憲法修正第21条の成立は1933年12月5日)

    アメリカの禁酒法

    アメリカでは1920年に禁酒法の時代が始まり、酒の製造や販売が禁じられました。1933年12月に憲法修正第21条で廃止されるまで、約14年続きます。国内の蒸留業は大きな打撃を受けました。カナダでは州によって決まりが違い、アメリカ向けの輸出で伸びた会社もあります。一方で、最大の市場を失って苦しんだカナダの蒸留所も多かったとされます。

    NOW禁酒法を越えて続く蒸留所の歩みは、今もブランドの歴史として語られます。

  5. 1923日本

    山崎蒸溜所の建設が始まる

    1923年、寿屋(今のサントリー)の鳥井信治郎が、大阪府の山崎で蒸溜所の建設に取りかかりました。翌1924年に竣工し、日本で最初のモルトウイスキー蒸溜所とされます。スコットランドでウイスキーづくりを学んだ竹鶴政孝も、この計画に加わりました。日本の本格的なウイスキーづくりは、ここから始まったと紹介されています。

    NOW山崎蒸溜所は今も稼働し、日本のウイスキーの出発点として知られます。

  6. 1929日本

    国産の本格ウイスキー「白札」

    1929年、山崎蒸溜所の原酒を使った「サントリーウイスキー白札」が発売されました。サントリーはこれを「日本初の本格ウイスキー」と紹介しています。翌1930年には「赤札」が続き、1937年には今も売られている「角瓶」が登場しました。こうして、国産のウイスキーが少しずつ店頭に並ぶようになっていきます。

    NOW角瓶など、この時代に生まれた銘柄の一部は今も定番として残っています。

  7. 1932アイルランド

    ※ 1910年代〜1950年代にかけての流れ。1932年はイギリスとの貿易戦争が始まった年

    アイリッシュの長い低迷

    20世紀に入ると、アイリッシュウイスキーは長い低迷に入ります。1917年には大麦が戦争に回されて蒸留が止まり、独立戦争と内戦も続きました。1932年からはイギリスとの貿易戦争で大きな市場を失い、アメリカの禁酒法も輸出に打撃を与えます。技術文書によると、1953年には島に残る蒸留所は6カ所になっていました。

    NOW大手の合併と新しい蒸留所づくりという、のちの再生の出発点になりました。

  8. 1934日本

    竹鶴政孝が余市に蒸溜所

    1934年、竹鶴政孝は寿屋を離れて大日本果汁(今のニッカウヰスキー)を立ち上げ、北海道の余市に蒸溜所を開きました。竹鶴は1918年にスコットランドへ渡り、ウイスキーづくりを学んだ人物です。日本人として初めてスコットランドで本格的に学んだと紹介されることもあります。最初の「ニッカウヰスキー」は、1940年に発売されました。

    NOW余市蒸溜所は、日本のウイスキーの二つめの源流として今も稼働しています。

ERA 4 · 1946–1979

戦後の成長

需要が伸び、各国で法律づくりや会社の再編が進んだ時期です。日本でも蒸溜所が増えました。

  1. 1964アメリカ

    バーボンは「アメリカ固有の製品」

    1964年5月、アメリカ議会の両院は、バーボンを「アメリカ固有の製品」と認める共同決議を採択しました。決議は法律そのものではなく、議会の考えを示すものです。政府機関に対し、外国で造られた酒をバーボンとして輸入させないよう、対応を求めました。今の連邦規則でも、バーボンはアメリカ固有の製品とされ、国内で蒸留・熟成したものに限られます。

    NOW「バーボン」はアメリカ産だけの名前、という今のルールの土台です。

  2. 1966アイルランド

    アイリッシュ・ディスティラーズ誕生

    1966年、アイルランド共和国に残っていたジョン・ジェムソン、ジョン・パワー、コーク・ディスティラリーズの3社が合併し、アイリッシュ・ディスティラーズが生まれました。1970年代には北アイルランドのブッシュミルズも加わり、島の蒸留業はほぼ1社にまとまります(技術文書では1973年)。同社は1988年に、フランスのペルノ・リカールのグループに入りました。

    NOWジェムソンやパワーズなど、今の代表銘柄の多くがこの会社のものです。

  3. 1973日本

    白州蒸溜所が完成

    1973年、サントリーは山梨県北杜市に白州蒸溜所を完成させました。山崎に続く、同社のモルトウイスキーの蒸溜所です。前年の1972年には、愛知県で知多蒸溜所の建設も始まっています。1980年には「オールド」の出荷が1,240万ケースに達するなど、国内のウイスキーの需要が大きく伸びていた時期でした。

    NOW白州と知多の原酒は、今もサントリーの銘柄に使われています。

  4. 1975アイルランド

    新ミドルトン蒸留所が稼働

    1975年、アイリッシュ・ディスティラーズはコーク州ミドルトンの敷地を広げ、新しい蒸留所を稼働させました。ジェムソンやパワーズの生産はここに移り、旧ミドルトン蒸留所などは役目を終えます。こうして、アイルランド島で動く大きな蒸留所は、ミドルトンとブッシュミルズの2カ所になりました。この体制は、1987年にクーリーができるまで続きます。

    NOWジェムソンなどの主要な銘柄は、今もミドルトンで造られています。

ERA 5 · 1980–2000

低迷と再編

在庫の過剰や消費の落ち込みで、多くの蒸留所が閉鎖や再編を迎えた時代です。

  1. 1983スコットランド

    ※ 在庫の過剰は1970年代から積み上がり、閉鎖は1983年前後〜1980年代半ばに集中した

    「ウイスキー・ロッホ」と閉鎖

    1970年代の造りすぎで、1980年代初めのスコッチ業界は大量の在庫を抱えました。これは「ウイスキー・ロッホ(ウイスキーの湖)」と呼ばれます。売れ行きの落ち込みや高い物価も重なり、最大手のDCL社(今のディアジオの前身)は1983年前後から蒸留所の閉鎖を進めました。アイラ島のポートエレン(1983年)や、ハイランドのブローラなどが操業を止めています。

    NOW閉鎖された蒸留所の原酒は残りが少なく、高値で取引されることがあります。

  2. 1983日本

    日本のウイスキー、頂点から低迷へ

    戦後に大きく伸びた日本のウイスキーは、1983年に国内の消費量が過去最高を記録しました(サントリーの年表による)。nippon.comの記事でも、生産量は1983年の約37万9千キロリットルが頂点とされています。その後は、1984年の酒税の引き上げなどいくつかの理由が重なり、2008年ごろまで、ほぼ毎年のように生産が減る時期が続きました。

    NOWハイボールで人気が戻るまでの、長い低迷期の始まりにあたります。

  3. 1987アイルランド

    独立系のクーリー蒸留所

    1987年、ジョン・ティーリングがラウス州のクーリー半島に、クーリー蒸留所を設立しました。アイルランドで新しい蒸留所ができたのは、約100年ぶりとされます。大手に属さない独立系の蒸留所として、長く貴重な存在でした。1989年からはポットスチルでモルトも造っています。2011年12月には、アメリカのビーム社が買収で合意しました。

    NOW大手2カ所だけの時代を変え、のちの新設ラッシュの先がけになりました。

ERA 6 · 2001–2026

クラフトと世界ブーム

品評会での評価やハイボール人気を追い風に、新しい蒸留所と新しい定義が増えた時代です。

  1. 2001日本

    余市10年が「ベスト・オブ・ザ・ベスト」1位

    2001年、イギリスのウイスキーマガジン誌が開いたテイスティングの企画「ベスト・オブ・ザ・ベスト」で、ニッカの「シングルカスク余市10年」が1位になりました。2位はサントリーの「響21年」です。日本のウイスキーが海外で注目されるきっかけのひとつとされます。2008年には、ワールド・ウイスキー・アワードで「シングルモルト余市1987」がベスト・シングルモルトに選ばれました。

    NOW日本のウイスキーが世界の品評会で評価される流れの始まりです。

  2. 2008日本

    角ハイボールでブーム再来

    長い低迷が続いていた2008年、サントリーは「角ハイボール」を広める取り組みを始めました。ウイスキーを炭酸水で割り、食事と合わせて気軽に楽しむ提案です。2009年には、缶入りの角ハイボールも発売されました。nippon.comの記事によると、国内のウイスキーの販売は2009年から伸び始め、ハイボールの宣伝がその後押しになったとされます。

    NOWハイボールは今も、ウイスキーの入り口として定番の飲み方です。

  3. 2008秩父蒸溜所の創業(いまイチローズモルト ホワイトラベルをつくる蒸留所)
  4. 2009スコットランド

    スコッチ・ウイスキー規則2009

    2009年11月23日、スコッチ・ウイスキー規則2009が施行され、1988年のスコッチ・ウイスキー法などに代わりました。それまでの法律は造り方の定義が中心でしたが、新しい規則はラベルや広告の決まりも含みます。シングルモルトやブレンデッドスコッチなど5つの区分を定め、「ピュアモルト」という言い方は使えなくなりました。3年以上の熟成なども、ここに定められています。

    NOWスコッチのラベルに書かれる5つの区分は、この規則にもとづいています。

  5. 2016ロイヤルオーク蒸留所の創業(いまザ・バスカーをつくる蒸留所)
  6. 2021日本

    ジャパニーズウイスキーの表示基準

    2021年2月、日本洋酒酒造組合が「ジャパニーズウイスキー」と表示できる条件を定めました。原料に麦芽を使い、国内で糖化・発酵・蒸留し、700リットル以下の木樽で国内3年以上貯蔵することなどが条件です。それまで公的な定義がなく、輸入原酒を使った商品にも同じ表示が見られました。法律ではなく組合の自主基準で、2021年4月に施行されました。

    NOW組合員の商品では、この基準を満たすものだけがこの名前を名乗れます。

  7. 2024アメリカ

    アメリカン・シングルモルトの基準

    2024年12月、アメリカの酒類を担当する官庁TTBは、「アメリカン・シングルモルト・ウイスキー」の基準を定める最終規則を公表しました。大麦麦芽100%を使い、アメリカ国内の一つの蒸留所で160プルーフ(80%)以下で蒸留し、700リットル以下のオーク樽で国内で熟成することなどが条件です。施行は2025年1月19日です。

    NOWバーボンやライに加えて、アメリカのモルトにも公式の名前ができました。

  8. 2024日本アイルランドスコットランドアメリカ

    ※ 2010年代から続く流れ。蒸留所の数は、それぞれの資料が示す時点のもの

    世界で蒸留所の新設が続く

    2010年代から、各地で新しい蒸留所が増えています。日本では2010年に約10カ所だった稼働中の蒸留所が、2024年7月末には92カ所確認されています(野村證券の調査)。アイルランドでは2019年に31カ所となり、1900年以降で最多と報じられました。スコットランドではSWAによると、2026年9月時点で156カ所が稼働しています。

    NOW秩父のような新しい蒸留所の銘柄が、選べる幅を広げています。

  9. 2024スコットランド

    ポートエレンとローズバンクが復活

    2024年3月、1983年に閉鎖されたアイラ島のポートエレン蒸留所が、41年ぶりに再び動き始めました。同じ年の6月には、1993年に閉鎖されたローランドのローズバンク蒸留所も、正式に再開しています。1980年代から90年代の不況で止まった蒸留所が、長い年月を経てよみがえった例として注目されました。

    NOW「幻の蒸留所」の新しい原酒が、これから少しずつ育っていきます。

出典は出来事ごとに「出典」を開くと見られます(54件)。年号に資料で差があるものは「※」で断っています。

最終更新